肺癌の父に「親不孝者」と言われて
少し前から
父が肺癌のため自宅療養中です。
先月よりも体重もぐっと減り、
食事もほぼ出来なくなってきました。
ずっと寝たままで背中を痛がる父と
そんな父を24時間体制で休みなく
介護している母の施術をしに
たまに帰省しています。
父は「俺はこの人生に満足してる」と、
まわりの人達に伝えておきたいことを
口にするようになりました。
すっかり痩せた背中を触りながら
施術を始めると父が切り出しました。
「お前は本当に親不孝な娘だ。
勝手に結婚して、勝手に離婚して。
孫を生んだことだけは親孝行だったが、
それ以外は駄目だな。」
おう!なんと手厳しい。
そして更に続きます。
「お前は末娘で、
俺はお前を一番可愛がったんだぞ。
小さい頃はいつも、
眠るまで背中を撫でてやったもんだ。」
そんな半世紀近く昔の話されても…
今背中を撫でているのは私の方だし、
全くピンとこない話です。
施術中はがあまり感情が揺れないので
「きっと誰かに謝って欲しいんだなぁ」
と感じ、こう伝えました。
「そっか。迷惑かけてごめんね。
だけど私は今とても幸せだから。
生んでもらって感謝してるよ。」
それから数日後。
スマホの写真を整理していたら、
幼い頃の息子の写真がでてきました。
今では身長も頭一つ分以上追い越され、
服のサイズも大人用になった息子ちゃん。
しかし彼がまだ小さかった時の写真を見て、
本当に可愛かったと鮮明に思い出します。
小さなお手手に、柔らかいほっぺ。
毎日毎日手を繋いで、保育園に通ったこと。
高熱の夜に一晩中心配したこと。
毎晩ベッドで一緒に本を読んだこと。
忙しい日常の中で
必死で子育てをしていた自分と、
愛情を注ぐ対象だった小さな息子の存在は
私の人生の中でとても大切な記憶です。
そしてこれは、親側の記憶。
この時ふと、
先日の父の言葉を思い出しました。
父の記憶の中に、可愛かった小さな私が
半世紀近くたった今も生きている。
私が幼い頃の息子を思い出すように、
八十歳を過ぎた父の中にも
小さな私が存在している。
出勤前に幼い私をぎゅーと抱きしめてから
家を出発していた父。
「これ以上大きくならないで」と
父は私に言い聞かせていたそうです。
私にとっての小さな息子と同じで、
父にとっての小さな私は
大切な記憶だったんだなぁと気付いた時、
自然に涙が溢れました。
親という生き物は
死ぬまで愛しい小さなお手手を覚えている。
私も、父も、幸せ者。
親不孝と言われたけれど
それもまたいいかな。
私はあなたの娘で幸せです。