理屈で説明できない状況
ビオハーツ院長の庵原央です。
私は、最初から「ソウルケア」を謳っていた訳ではありません。アメリカ留学中には医療微生物学を専攻しつつ、解剖学や生理学も学んでいました。オステオパシー専門学院でも、解剖学・生理学・病理学・組織学などを履修し、海外研修で実際に人体解剖も経験しました。
元々は「目に見えないもの」は(多少興味はあっても)信じていませんでしたし、むしろ、オステオパシーを習得した頃には「目に見えないもの」を毛嫌いしていたぐらいです。
しかし、実際に現場で実践し経験を重ね、様々なクライアントの方々と接するうち、「どうしても理屈では説明できない状況」に何度も遭遇するようになりました。
ここでご紹介するのは、自分のオステオパシーの知識と技術だけではどうにもならなかった私自身の体験談です。今思えば、こうした体験ひとつひとつが「ソウルケア」に辿り着くための布石だったのだと思います。
「ソウルとかホントどうでもいいから、とりあえずこの痛みなんとかしてよ」
実際、痛みがひどければそれが本音だと思います。ただ、頭の片隅に置いていただきたいのは、「見えない要因(ソウルの状態)が肉体に痛みを引き起こすことがある」ということです。それも、気付いていないだけで日常的に起こっています。
この時の「私のソウル」は「かなり重症」だったと思います。しかし、「ソウル」の存在に気付けたおかげで、「あのままだったら激痛で苦しみ続けるばかりか、その後に確実にもっと悲惨な結果になってた」という状態から方向転換できたと確信しています。
参考になるかどうかはわかりませんが、「こんなことも起こり得るんだ」ということを知っていただければ幸いです。
唐突に始まった猛烈な胃の痛み
オステオパシーを習得し実践していた私は、普段ほとんど体調を崩したり痛みがでたりすることがありませんでし、なんらかの不調を感じても、自分で対処できるようになっていました。
しかしその日は珍しく、朝から経験したことがないくらいの「凄まじい胃痛」を感じ、脂汗が出るほどでした。触診してみると、胃全体に「制限」で覆われ、ありえないほど収縮しています。いつもクライアントの皆様に行っているのと同じように自分で自分の内臓だけでなくできるかぎりの調整をすると、一時的には胃の「制限」が解放され、収縮も痛みも緩和するのですが、しばらくすると胃の「制限」も収縮も痛みも元のレベルに戻ってしまう状態でした。
その日は午前中にパートナーと明治神宮で参拝し、その後友人夫妻と4人で恵比寿で食事に行く予定でした。猛烈な痛みが出ていましたが、私の中ではそれらの予定をキャンセルするという気持ちは全くなく、オステオパシーの手技で調整を続けながら出掛けました。
動くのもつらいのですが、歩いている方がまだマシで、立ち止まると激痛が始まります。明治神宮での祈願祭は座ったまま約30分間動けないので、まるで何かの修行のようでした。
その後、なんとか恵比寿まで移動して友人夫妻と合流し、予約していた店に入って座りました。友人夫妻と合流したことでちょっと気が抜けたのか、店で座っている間は会話できる程度には胃痛は緩和していましたが、それでもかなりの痛みがでていました。
友人夫妻はエネルギーワークのプロフェッショナルでもあったので、今朝からのその痛みのことを話したところ、友人の奥さんが、
「胃に太くて長い針のようなものが、ものすごい本数刺さってるね。はっきり見えるから、すぐ抜けると思うよ」
と、さらっと言ったのです。
その時、「針」が刺さっているかどうかは私にはさっぱりわかりませんでした。ですが少なくとも彼女には、私には見えていない、わからない何かが感じられている訳です。それを認めるのはちょっと悔しかったのですが、そんな些細なことにこだわっていられるような状態ではありませんでした。この際、可能性があるならなんでも試す勢いで、「自分にはわからない」ということを認めて、彼女にお願いしてその「針」を抜いてもらうことにしました。
彼女が「針」を抜き始めた時の感覚は、今でも忘れません。
私には全く見えていないその「針」に彼女が触れた感覚、そしてその「針」が引っ張られてズルズルと抜けていく感覚が、「本当に」感じられたのです。体感的には、「針」なんて細くて短いものではなく、「編み物用の長めの棒針」のようなサイズで、それが何本も何本も、いろんな方向から胃を貫いている感覚でした。
一本抜かれるごとに楽になり、そして全て抜き終わったその瞬間、あれほどの激痛が完全にぴたりと治まったのです。この間、彼女は私の体には一切触れていませんでした。
自分で胃を触診し確認してみると、あんなにしぶとかった「制限」がキレイに解放されており、「針」を抜いてもらう前と後では「全くの別物か?」というくらい、胃が緩んでいました。
こんなことがあり得るのか?気のせいではないのか?頭では否定しようとするのですが、体感と触診で実際に変化を確認してしまったので、ぐうの音も出ません。
あれだけの痛みを出す胃の「制限」が、ある日突然現れるはずはなく、かなり長い間その胃の「制限」を抱えていたはずです。しかし、普段それほど胃が緊張していたことにも、恥ずかしながら全く気付けていなかったのです。
そして、あれだけ痛みがでる状態をそのまま放置したら、胃癌か、そうでなくても何らかの大きな病気になっていたのは間違いないなく(実際、大病を抱えた方と胃の「制限」の状態がそっくりでした)、ぞっとすると同時に命を救われた思いでした。
普段からかなり気を付けている自分でさえ、これほどの状態に全く気付けていなかったことがショックだったと同時に、多くの人が同じようなものを抱えて生きているのも間違いないと確信しました。
この話で私にとって重要な事実と変化は、次の7つです。
- そこまで胃が極度に緊張していたにも関わらず、発症するまで「全く」気付けていなかった
- 胃に非常に強い「制限」があることは触診で確認していた
- オステオパシーによる内臓アプローチで胃の「制限」を解放しようとしたが、解放できなかった
- 「針」を抜いてもらうことで、その瞬間に痛みが完全に消失した
- 再度自分で胃の制限を確認したところ、しっかりと「制限」も解放されていた
- 自分自身の現在の状態に気付き、これまでの自分の状態を省みた
- 自分の状態を変えるべく、行動の変化に落とし込んだ
今までどれほどの「我慢」を自分に課していたか、それまで全く自覚がありませんでした。事実、これだけの痛みが出て居ながらも、予定をキャンセルして休むという選択は全く浮かばなかったのですから… 胃に刺さっていた針は、「自分で自分に課した我慢そのもの」だったということに気付き、それ以降は「自分を無理に我慢させない」ことを意識するようになりました。
この「自らを省みること」と「実際の行動の変化」は非常に重要です。これこそが「自分で自分のソウルに働きかけているプロセス」であり、これがないとこの一連の「制限のパターン」が「完結」できないのです。
ありがちなのはこの後、「一旦制限が緩んだとしても、時間が経つと元の状態に戻って症状が再発してしまう」という現象です。「組織や神経系に刷り込まれたパターンが原因」だと言えば確かにその通りなのですが、その「制限のパターン」を生じているものが何なのか、どうすればその「制限のパターン」を解消できるのかが大きな課題でした。
しかし、その後何年も経ちますが、胃痛は一度も再発していません。「自らを省みること」と「実際の行動の変化」というプロセスを経ることで「制限のパターン」が解消され、「完結」できたのです。症状はそうしたプロセスと変化を促すためのシグナルなのだと、身を持って知った体験でした。